日本酒やグルメ、ダイエット等、興味のあることを色々ご紹介します。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
桜宮高校の体罰問題に端を発し女子柔道五輪代表選手15名が園田監督(前)を始めとする監督・コーチの暴力指導を日本オリンピック委員会(JOC)に訴えるなど、スポーツの指導方法の問題が表面化しています。

今回の一連の体罰問題で「勝利至上主義」と多くの方が批判していましたが、僕は勝つために練習するのだと思います。スポーツは戦って勝つことを目標にするものだと思っています。「勝利至上主義」で良いと思います。

なでしこJAPANを例に出すまでもなく、スポーツは勝たなくては未来は開けません。勝つために一所懸命に努力する事を否定することは、やっている選手を否定することだと思います。

ただ、勝つための方法論を変えて行くことが、日本スポーツ界にとって必要なことだと考えます。

僕は「体罰それ自体で選手の能力が伸びることはない」と思っています。殴られる恐怖から逃れるために必死に練習して技術が向上する事はあると思いますが、練習を一所懸命にやらせる方法は殴る事がベストではない、と思います。

指導する側からは「恐怖支配」が一番簡単で猛練習させやすく、結果として効果が直ぐに出るので便利なのでしょうが、やはり間違っていると思います。

練習方法でも僕の小中高生時代、野球部では「うさぎ跳び」が練習として一般的でしたが、もう何年も前から「うさぎ跳び」は危険であるとスポーツ医学の専門家から指摘されており、「うさぎ跳び」を練習に取り入れている学校は殆どないと思います(検証はしていませんが、娘はやった事がない)。

我が国は「巨人の星」や「柔道一直線」などに見られるように「根性論」でスポーツを語ることが普通に行われて来ました、「根性」を鍛えるために「愛の鞭」という名の「暴力」が容認されて来たのだと考えます。

また、多くの青春ドラマ(「金八先生」や「ごくせん」、森田健作千葉県知事主演ドラマなど)では、不良生徒を教師が殴る(だいたい平手打ち)ことで立ち直る、というシーンが感動的なストーリーとして演出されてきました。これも、「愛の鞭」という名の暴力です。

教育の現場では「厳しい教師」ほど生徒思いの良い先生と思われているように思います。そして「厳しい教師」は、時として体罰も行います。逆は必ずしも真ではないのですが、「体罰も辞さない教師」⇒「厳しい教師」⇒「生徒思いの良い教師」となった可能性も否定できません。

スポーツに限らず教育の現場では、精神医学やスポーツ科学など最新のメソッドを取り入れた合理的な教育方法を採り入れて行くことは当然のことだと思います。プロ・アマ問わず日本選手が五輪などの国際大会で実力はあるのに勝てない(石川遼君は米ツアーで三戦連続予選落ちですね)のは、「日本人はプレッシャーに弱い」とスポーツ解説者が良く口にします。

これは、ストレスを耐えることで精神が強くなるという「根性論」で育って来てしまったため、臨機応変なメンタル・コントロールが出来ていないためだと考えられます。精神医学の専門家によるとストレスには「良性」のものと「悪性」のものがあるようです。

ここで重要なのは、このストレスを引き起こすプレッシャーには「良性」も「悪性」もなく、受けとめる人間の気持ち次第で「良性」になったり「悪性」になったりするそうです。痴漢などのセクシャル・ハラスメントと似ています。

優勝の掛かった3メートルのパットを入れる時のプレッシャーを「良性ストレス」と感じるか「悪性ストレス」と感じるかで結果が異なることは容易に想像できます。これまで指導者は「プレッシャーを乗り越えろ」と指導はできても、その方法論は「根性」や「経験」しかなかったように思います。

厳しい練習を強要して、その苦しさを耐えることでプレッシャーに耐える精神性を養っていく、という方法論です。厳しい練習の中では、体罰という肉体的な痛みを伴うプレッシャーも効果があると考えられてきたのだと考えます。

でも、体罰と言う名の暴力による肉体的な痛みを伴わないメンタル・トレーニングでプレッシャーを「良性ストレス」と感じることができるような指導方法が、現代のスポーツ界では求められるように思います。

もっともメンタルコントロールが出来れば勝てるかというと、そんなことはありません。技術だって磨かなくては絶対に勝てません。技術を磨くには練習しかないでしょう。理論を学び、練習で実践していき技術を磨くことは勝つために重要です。

問題となっている柔道は「心技体」と良く言われます。この三要素を一人の監督で指導しようとしている事に無理があると思います。スポーツ心理学の専門医、柔道コーチ、栄養管理士の三人態勢で選手を指導し、この三人を管理する総監督を置くのが日本柔道が変わって行くことに必要なことだと考えます。

日本代表クラスの選手は技術的には世界のトップレベルにいますから、柔道コーチがいれば、総監督は柔道経験者でなくても良いと思います。マネジメントの専門家を外部から招聘するような柔軟な発想も必要なのだと思います。
スポンサーサイト
フジテレビ「めざまし」で小倉さんも言っていたけど、バカバカしくて下らない、実にどうでもよいニュースなんだけど、AKB48の第一期生で20歳の女性が「お泊まり」したことで丸坊主になってYouTubeで謝罪声明をアップした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130131-00000112-spnannex-ent

AKB48の実質的な支配者である秋元康氏は、かねがね「恋愛は社会のルール違反ではないけどAKBのルール違反」と公言し、違反者は「脱退」や「移籍」「謹慎」という処分を下してきた。

AKB48を秋元康氏を絶対支配者とする一つの世界としてみると、その世界では支配者の決めたルールに違反すると罰としてその世界から「追放」される。その世界にしがみつきたい住民は、常に支配者の影におびえ、顔色をうかがいながら生活するしかない。

20歳の女性に恋愛するな、と言うのは人権侵害もはなはだしい。しかし、ルールだから守らなければならないと思うけど、もともと無理のあるルールだから違反者は必ず出る。

今回、違反した子は「丸坊主」になることで「反省」の意を表明して世界からの「追放」だけは許して欲しいと訴えた。「丸坊主」になったのは本人の意思だと言うが、公式チャンネルで公開されているから、世界公認の「反省の姿勢」だと思われる。

この子が「自分の肉体を傷つける行為(ある種の自傷行為)」が「反省の意」を示す事になると思い、それを実行したことは、社会問題となっている「体罰」に通底するものがある。

秋元氏が「頭丸めろ」と命令したとすれば、これはまさしく一般的な意味合いでも「体罰」になる。本人の意思で丸めたから「体罰」ではなくなる、という単純な問題ではないように思う。

本人の自由意思であったとしても、この世界には「反省の意を表すためには自傷行為も辞さず」という空気が存在したことを示している。この空気は、絶対的支配者による直接あるいは間接的な威圧であり、言葉を変えれば「パワーハラスメント」だ。

つまり、この子はパワハラの影響下で「自傷行為」を行い反省しようとした。これは、「体罰」以外の何物でもない。

今問題になっている「体罰」も、AKB48と同じように支配者の存在する世界で起こっている。支配者から「肉体を傷つけられる」か「自分で傷つけたか」の違いだけで、起こっていることは全く同じこと。

AKB48という「世界」の中で、この子の「自傷行為」が正当化されるのなら(公式チャンネルで公開しているのだから正当化されているのだろう)、柔道という「世界」での「体罰」も正当化されても良い。

しかし、どのような世界であっても「体罰」という名の「暴力」を正当化する事は許されない。スポーツの世界でも、これまで通用していたルールは通用しなくなった。社会が、そういう方向に向かっているのだから、AKB48という世界もルールを変える時期が来ていると言う事なんだと思う。

秋元康氏に言いたいのは、ただ一つ。

「青春真っ只中の女の子なんだから、自由に恋愛させてあげなよ」
地質学ナビ」というサイトに日本中の活断層の場所が示されています(サイトにアクセスして左側のメニュのデータ表示から選択できます)。

日本全体(図1)を見ると日本中に活断層がある事が分かります。

active_j.jpg


敦賀原発の辺りを拡大したのが図2です。

tsuruga_1.jpg


赤い線が問題となっている浦底断層です。原発施設が何とか確認できますがはっきりしません。Googleマップと重ねて分かりやすくしたのが図3です。

tsuruga_3.jpg


これだと、浦底断層は原子炉建屋の近くではあるものの真下には通っていないように思えます(国土地理院の調査マップでもそう見えます)。

また、地表近くの「活断層」の全てが危険なものとは言えません。

まず「断層」の定義からはっきりさせておくと、「地層の不連続面で、その面に平行な変位があるもの」とされています。繋がっていた地層が切れていて、切った面が食い違っている状態です。

また、「断層」「活断層」の他にも「地震断層」「震源断層」というものもあります。

阪神淡路大震災の時に地表に現れた「活断層(野島断層)」のように、大地震の際に地表に現れる断層は「地震断層」と呼ばれます。地表に近い所にある断層ですから、動いたとしても「地震波」を発生することはありません。大地震によって「結果的に動いた」断層なので地震を起こすことはありません。

これに対して、地下深部にある断層で動くと地震波を発生させるものを「震源断層」と言います。ややこしいことに「地震断層」は「震源断層」の上端であるとされます。そして、問題とされる原発敷地の「破砕帯」は、仮に「活断層」だとしても「地震断層」の一種と言えます。

地下深くにある「震源断層」と連続した断層であっても、地震の規模が小さければピクリとも動きません。大地震の場合に野島断層のように動く可能性がある「活断層」です。

現代の地震学では「活断層」が動く事で地震が起きるというのが定説になっています。活断層が動くのは、小松左京さんの「日本沈没」で一般的になった「プレートテクトニクス」理論によって説明されています。

プレートテクトニクス理論自体は、観測もされているので正しいのだと思いますが、プレートの圧力によって「活断層」が動くのを観測した科学者は、僕が調べた限りではいません。なにしろ深い地中のことですから、誰も見た事がないのです。

地震のメカニズムが恐らく正しいだろうという推測は出来ますが、どのような方向からどのくらいの圧力が掛かった場合に、どの「活断層」がどのように動くか(あるいは動かないか)は全く分かっていません。

それは、現在まで「地震予知」が一度も当たっていないことからも明確です。「○年以内に○%の確率」と言っても、その通りに地震になったためしはありません。故郷の静岡県では何十年も前から直ぐにでも「駿河沖地震が起こる」と言われ続けていますが、幸いな事に起こっていません。

「3.11」にしても地震学者達は「ノーマーク」だったはずです。野島断層のような地震断層が動くような大地震が来ることは予測不可能であり、仮に大地震が起こったとしても地震断層が動くかどうは不明です。さらに、上で示した断層地図では原子炉建屋の真下には断層がありません。

それなのに原子力規制員会は新しいルールを作り、それを遡及適用して現在ある発電施設を「廃炉」にしようとしています。「廃炉」は民間企業の経営を破たんに追い込み、地域住民の生活も脅かすことです。

確かに福島第一のような事故が起こったら、地域住民のみならず周辺住民の生活は破たんします。日本がダメになるかもしれません。しかし、そんな不確定な仮定の話ではなく「廃炉」になったら「現実」に100%の確率で起こることを余りにも軽視しているように思えるのです。

原子力規制員会は、イタリアで地震学者が有罪になったようなリスクを過大に恐れているように思えます。
原子力規制委員会は、日本原子力発電(原電)敦賀発電所(福井)と東北電力東通原発(青森)の敷地内の断層(破砕帯)を「活断層」だと認定しました。敦賀原発では、原子炉建屋の一部に「活断層」とされる破砕帯が通っていて敦賀原発の「廃炉」は決定的となっています。

福島原発の事故以来、「放射能は危険」ということが巷の注目を集め、ガイガーカウンタを片手に通学路を測定して、放射能の「あり、なし」が問題とされました。関東から関西に避難した人もいたようです(実際に周りにいないので確かめようがないですが)。

幸いな事に福島原発の事故で飛散した放射性物質による健康被害はありませんでした。そのため最近では「放射能」を問題にする人も見かけなくなりましたが、その代わりにクローズアップされてきたのが「活断層」です。

「活断層」と聞いて連想するのが「活火山」です。「活」と言う字から「活動している」状態を想像しますし、実際に桜島や浅間山は常に噴気活動があったり噴火しています。同じように「活断層」も実際に「動いている」断層という印象を持ちます。そんなものが原子炉建屋の真下を通っていたら「危険」だと誰でも思います。

しかし、現代の火山の定義では「活火山」は「過去1万年以内に噴火した火山、および現在活発な噴気活動のある火山」となっています。子供の頃に休火山だと教わった富士山も今では活火山だそうです。

同じように「活断層」も「極めて近い過去に動いたことのある」断層のことです。問題になるのは、「極めて近い過去」がどのくらい前なのか、と言うことです。地質学的には、新生代第四紀を指すそうです。大体258万8000年前から現代までの時代です。

でも、原子力規制委員会が「活断層」として認定する際の基準は、原発という施設を作るための安全基準なので地質学の基準とは異なります。

昭和53年9月に当時の原子力委員会が定めた「耐震設計審査指針」を元に昭和56年7月20日に原子力安全委員会が決定した指針(旧指針)で「活断層」を「5万年前以降」に動いた事のある断層としています。

そして平成18年に「旧指針の策定以降現在までにおける地震学及び地震工学に関する
新たな知見の蓄積並びに発電用軽水型原子炉施設の耐震設計技術の著しい改良及び進歩を
反映」して、旧指針を全面的に見直した新指針では、「後期更新世以降の活動が否定できないもの」と改められました。

後期更新世とは、およそ13万~12万年前のことです。5万年から13万年前まで、基準を厳しくしました。それを、原子力規制委員会は「40万年」に更に過去に遡って「活断層」を認定しています。

原発敷地内に活断層がある、という報道に多くの人が「何故、作る前に調査しなかったんだ」と批判しますが、敦賀原発1号機が原子炉設置許可申請したのは昭和40年ですから、恐らく昭和53年の指針と同じような「5万年以降」を基準として「活断層」と認定していたと思います(この辺の資料が見つからない)。

原発2号機の許可申請が昭和54年ですから昭和53年に原子力委員会が定めた「5万年前以降」という指針に従って調査されて許可されています。当時の基準では「活断層ではなかった」のです。それを、原子力規制委員会は新基準を遡及適用させて敦賀原発を「廃炉」にしようとしています。これは手続き上は、適法ではないように思います。

例えば現在の少年法の年齢制限を「10歳未満」に引き下げた新基準が制定された場合、それを過去の少年犯罪に適用させるのは法律違反です。原子力規制員会の遡及適用も同じようなことだと思います。
坂本龍一さんが、提言型ニュースサイト「BLOGOS」で高速増殖炉「もんじゅ」の非公式ゆるキャラ「もんじゅ君」にインタビューされる形で脱原発について語っています。

タイトルにもなっている「坂本龍一さん、どうして音楽家なのに脱原発何ですか?」というもんじゅ君からの問いかけに対して、

うーん、これはべつに「ミュージシャン」っていう職業は関係ないと思うんだよね。たとえばさ、これは僕の考えだけど、魚屋さんでも肉屋さんでも八百屋さんでもミュージシャンでも、「人を殺しちゃいけない」とか「泥棒はしちゃいけない」っていう感覚はあるよね。それと同じことだと思うんだよ。

あれだけの巨大事故を目の当たりにしたらさ、「あれはないよね」って思うのが庶民の感覚でしょう。僕が「原発をやめよう」っていっているのは、ただそれだけのことなんだよね。



このように、答えています。

つい最近、中央自動車道「笹子トンネル」で崩落事故が起こりました。あの事故について「あれはないよね」って僕は思いました。庶民の感覚も同じだと思います。

でも、「トンネル廃止」を訴えてデモをする人はいません。「廃止」まで行かなくても、「100%の安全確認ができるまで日本中のトンネル通行止め」という訴えも聞きません。

また、登校中の児童の列に突っ込んだり、祇園で信号無視して歩行者を次々と跳ねたり、といった自動車事故のニュースを聞くたびに庶民感覚で「あれはないよね」って思います。

平成23年中の交通事故死者数は4612人です。最も多かったのは12月29日の26人で最も少なかったのは1月15日の3人です(「交通局交通企画課」の資料から)。毎日数人が自動車事故で亡くなっています。

それなのに、「自動車廃止」を訴えてデモする人を知りませんし、自動車のCMに坂本龍一さんは出られていますよね。

坂本さんは、このインタビューで

この「原発はあぶない」っていうのは感覚的なものなんだよね。僕はべつに放射能の専門家じゃないわけで、ただひとりの市民として、感覚的に「危険だ」と感じているだけ。



とおっしゃっています。

「自動車はあぶない」って感覚はないのですか?

また、先の「感覚」の説明で「人殺し」や「泥棒」を引きあいに出していますが、別の所では、

原発についてはさ、すぐ「代替案を示せ」っていわれちゃうじゃない。だけど「殺人はよくない」という意見に対して、もし反対する人がいるとしてね、そこで「人殺しがダメなら代替案を示せ」とはいわないわけでしょ。それとおなじだと思う。



このように言われています。

原発は「発電施設」です。電気を作る一つの方法です。それに反対するのに「殺人」「窃盗」という犯罪を引きあいに出すのは暴論と言うものです。「発電」は犯罪ではありません。代替案を議論することは可能です。

また、このインタビューで何度も「僕は素人」だからと口にされています。「素人」だから反論するだけで良い、というのは一つの見識ではあります。「感覚」で「あれはないよね」って思うから「原発いらない」と言うことは自由です。

また、「代替案なしでしゃべって何が悪い!」とおっしゃっていますが、その通りです。何も悪くありません。ただ、無責任なだけです。

坂本さんの音楽のファンの一人として、坂本さんの素晴らしい「感覚」は創作活動にのみお使い頂ければと心から思います。貴方に求められているのは政治的な発言ではなく、明日の見えない絶望の中で必死になって生きている人々の心を癒し、希望の光を灯してくれる音楽です。

天賦の才能を正しくお使い下さい。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。