日本酒やグルメ、ダイエット等、興味のあることを色々ご紹介します。

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4月から中学校で武道が必修化されることに伴い、静岡県では「大外刈り」を禁止し、投げ技を使った試合は行わない、などとする安全指導指針をまとめました。投げ技を使えないので、試合は「座った」まま行うとのこと。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120330-00000029-san-l22

これで「柔道」と言えるのかと素朴な疑問を持ちます。こんな中途半端な授業であれば「柔道」など、やらない方が良いと思います。

名古屋大学大学院の内田良准教授のまとめでは、平成22年度までの28年間に柔道中の事故により、全国で114人(中学39人、高校75人)が死亡。生徒10万人当たりの死者数も柔道は2.376人と、2位のバスケットボールの0.371人に比べ、突出しているそうです⇒http://bit.ly/wDfeFi

ただ、このデータですが、死亡事故の殆どは部活動のものです。授業での事故は1割程度です。授業だから、そんなにハードな内容ではないと思いますが、それでも死亡事故があります。授業だから体力のない子供や体の弱い子供も同じように授業を受けます。だから、より配慮した指導が求められます。

全ての体育教員が柔道経験者ではないでしょう。柔道の指導力に劣る教員が授業を行うことの方が僕は怖いと思います。文科省は、教員の指導力まで考慮して武道を授業に取り入れたのでしょうか?

武道を必修化することは賛成ですが、現場での指導のことまで考えて決められたのかどうか、何となくお役人の机上の空理空論で決定したように思えてなりません。だから、現場サイドでは極端に安全側にシフトして静岡県のような訳の分からないことをするのだと思います。
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民主党政権下で二度目の死刑執行が29日午前に行われました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120329-00000460-yom-soci

千葉景子前法務大臣が平成22年7月に「死刑の在り方についての勉強会」を設置することを表明して翌8月に発足しました。これまでに10回行われており、先日これまでの勉強会の「取りまとめ報告書」が法務省のWEBサイトで公開されました。

「報告書」では、

「死刑制度の存廃については,現時点で本勉強会として,結論の
取りまとめを行うことは相当ではない」

として、

「国民の間で更に議論が深められることが望まれる」

とまとめています。

つまり、10回も「勉強会」を行っていながら死刑存廃については「どちらの意見にも一理ある」と従来と何ら変わらない「報告」に終わっています。法務大臣の肝煎りで始めておきながら、成果らしい成果が見出せません。

この10回の「勉強会」の内容も、死刑存廃に関心のある人なら誰でも知っていおり、関心の薄い人でも聞いたことのある基本的なことを”おさらい”しただけで、目新しい議論は全く見られませんでした。

日本国憲法は「死刑」を明文化していません。ただ、

「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」(憲法第31条)

とあり、これを拡大解釈(?)して、「手続きを踏めば、生命を奪える」と逆説的に「明文化」されていると考えられています(と言うか、法律学者の中にそう考える人がいるということ)。

現在、「死刑判決」を受けるのは殆どが「殺人」罪です。我が国の法律では、

「人を殺した者は,死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」(刑法第199条)

とあります。これが、「法的な手続きを踏んだ」条文なのでしょう。

しかし、憲法第36条には

「公務員による拷問及び残虐な刑罰は,絶対にこれを禁ずる。」

とあります。「死刑」は、これに違反する十分に「残虐な刑罰」であるから憲法違反であると言う意見もあります。さらに言ってしまえば、法律で「殺人」は罪だから「死刑」だと言っておきながら、国家による「殺人」である「死刑」を執行することは矛盾しているようにも思えます。

法的な手続きを取れば、日本国に死刑判決を下すことも可能でしょう。この場合、国家を代表して内閣総理大臣と閣僚全員が「死刑」になるのでしょうか。

最後は冗談ですが、このようなことは随分前から議論され続けてきたことで、いまさら「報告書」にまとめられて「国民の間で議論が深められることが望まれる」なんて言われても、「何をいまさら」としか思えません。

死刑存廃問題で議論を尽くすべきことは、一つには「冤罪」についてであり、もう一つは「遺族感情」だと思っています。これら以外の「世界の潮流」「抑止効果」などは、どうでも良いように思います。

「冤罪の可能性があるから、死刑は廃止すべき」と言う意見は、作家の島田荘司さんなども強く主張されています。それに対して、「どんな犯罪でも冤罪の可能性は否定できない」から、特別に「死刑」だけを「冤罪」を理由に廃止するには当たらないと存置派は言います。

でも、他の刑罰と比べて「死刑」だけは取り返しが付かないのも事実です。「冤罪」で何十年も収監された人が自由の身になった場合、収監されていた時間は取り戻せませんが、何らかの対価を支払うことは出来ます。本人が納得するかどうか分かりませんが、少なくとも償う余地は残されています。

でも、「死刑」の場合は本人が居ないのですから償うこともどうすることもできません。だから、「死刑」だけは特別なのだと言う意見には一定の妥当性があるように思います。

遺族感情は複雑です。つい最近、山口県光市の母子殺害事件の犯人に対して「死刑判決」が下され、ご遺族の方が記者会見されていました。ご家族を殺されたご遺族の方の心中を忖度するのは余りに傲慢不遜なのですが、会見の映像を見ていて少なくとも死刑判決に対して否定的では無かったように感じました。

しかし、ご遺族の中には明確に「死刑を望まない」と意思表明される方もいます。犯人が死刑になっても殺された家族は帰ってきません。死刑になるよりも、一生涯「罪」を背負って反省の日々を送って欲しいと考えるご遺族もいるでしょう。

こればかりは、実際に自分が当事者になってみないと分からない感情だと思います。

今回の「勉強会」は、何度も言っているように従来の議論の繰り返しで何ら目新しいことはありません。死刑存廃について何を議論しなけらばならないのかは、既に分かっていることです。

遺族感情問題についてなら、例えばご遺族の方々へのヒアリングを行うとかいうことをしていません。学者や有識者を呼んで、従来の意見や海外の状況の復習をするよりも意味があると思います。

「冤罪」問題であるなら、過去の冤罪事件の担当検事や警察官を呼んで「冤罪」となった原因を探るとか、「冤罪」を防ぐ手段は本当にないのか。防げないまでも発生率を極限まで減らす方策はないのかとか、議論すべきことはあるはずです。

僕は死刑は存置すべき、と考えています。理由を書くと長くなるので控えますが、国家による殺人行為を正当化しておく必要があると考えるからです。

「報告書」が「国民の間で更に議論が深められることが望まれる」と言っているので、重いテーマではありますが、いつ裁判員に選ばれるか分かりませんから、真剣に考えてみてはどうでしょうか。
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