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今読んでいるこの本が江戸文化をベースとした「写楽」本なので、久しぶりに「写楽」をネットで検索してみると、「写楽別人説」が未だに主流のようです。

 と言っても、「別人説」を唱えているのは基本的に市井の研究者の方々で、いわゆる「学者」先生ではありません。というのも、アカデミズミの世界では「斎藤十郎兵衛」で確定していると言って良いからです。

 この本の著者もアカデミズムの方なので、端から「斎藤・・・」として論を進めます。
 何故、そう決まっているかと言うと、斎藤月岑と言う江戸時代の考証家が纏めた「増補 浮世絵類考」に、「斎藤・・・」と明記しているからです。

 タイムマシンが存在しない以上、歴史考証は文献等から類推するしかない訳ですが、一口に「文献」と言っても信憑性の高いものからそうでないものがあります。

 この「類考」は、「浮世絵」に関して言えば第一級の史料であり、この記述を疑ったら浮世絵研究は出来ないというくらい信憑性の高いものなのだそうです。

 無論、他の絵師に関してはそうでも「写楽」に関してだけは嘘(あるいは間違い)であるかも知れません。また、何らかの恣意的な意図があって記述しているかも知れません。しかし、そんなことを言い出したら切りがありません。

 「写楽」とほぼ同時代の第一級(と認められている)史料に「斎藤・・・」という記述があり、その人物が確かに同時代に存在したことが証明されれば、その時点でもう「写楽」別人説は成立しないのです。研究とはそう言うものだと思います。

 もし、これを覆したければ、同じレベルの第一級の史料を基にして論証しなければならないし、何故「類考」にこのような記述がなされたのかも説明しなければなりません。

 これは、誰が考えても当たり前の事なのだと思われます。それなのに、「写楽」に関してだけはこの当たり前のことが当たり前でなくなるのだから不思議です。

 なぜかと言えば、「写楽」には魅力的な謎が多いからでしょう。それは良く理解できます。

 でも、「写楽」別人説を唱える人々は、まず「類考」を否定します。そうしないと「別人説」は成立しないので当たり前なんですが、否定の仕方が余りにも幼稚なんです。

 例えば、編者の斎藤月岑が町人であることから信憑性はないと断じます。また、写楽の活躍期から約50年後の書物なので信憑性は低いとします。

 前者は、反論するのもバカバカしいので無視して、後者に関しては「類考」の成立過程を追えば反論となるでしょう。もともと、「類考」は写楽と同時代に太田南畝が著した「浮世絵類考」が底本です。

 その記述に山東京伝とか英泉とか式亭三馬などが補筆して行く訳です。それらを纏めたのが月岑の「増補 浮世絵類考」です。

 そもそも「類考」に記載されている浮世絵師の中で「写楽」の部分だけを取り出して「信用できない」としているのですから、お話になりません。

 この本は、江戸文化をベースにして「写楽」である斎藤十郎兵衛がなぜ表立って絵師であることを明かせなかったのかを解説しています。

 面白い本でしたが、ただ哲学者のY氏への感情的とも取れる批判が頻繁に語られていて、Y氏への呪詛が著作の動機とも取れるのが玉に瑕でした。
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