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東北地方太平洋沖地震でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被害を受けられた皆さま、そのご家族の方々に心からお見舞いを申し上げます。

また、福島第一原子力発電所における事故の処理に当たられている東京電力関係者、自衛隊、消防隊員、その他全ての作業員の方々の無事を祈るとともに最大の敬意を表します。

作家の井沢元彦氏の日本史観は、「言霊」と「穢れ」をキーワードとしていて大変に説得力があると思っています。今回の地震及び津波の大きさに対して政府は「想定外」という言葉を使い、被害が甚大であることの「言い訳」としているように感じます。

「想定外」の事が何故起きたのか? なぜ「想定外」だったのかを考えると、日本人の根底にある「言霊」信仰の影響を強く感じます。

「言霊」と言う言葉は、万葉集にも見られます。柿本人麻呂の和歌にも歌われています。奈良時代、平安時代に時の権力者であった貴族階級は和歌を良く読みました。現代でも皇族の方々が和歌を折に触れて発表されています。

「言霊」信仰とは「言葉にしたことが実現する」という思想です。「言挙げ」することで天下泰平を祈ったと言えます。

現代人の感覚から言うと、古代の人々は何て非科学的なことを信じていたのか、と思うでしょう。確かに「言霊」には科学的な根拠などありません。

しかし、我々も結婚式では「切れる」「割れる」「壊れる」といった言葉は、「忌み言葉」として使わないですし引き出物に「重ねる」ものは使用しません。また、受験生のいる家庭では「落ちる」「滑る」はタブー視されますし、お見舞いに椿の花や鉢植えの花は持って行きません。

また、若い人達は使わないかもしれませんが、僕が子供の頃は遠足や運動会など楽しみにしているイベントが雨で中止になった時など、「○○ちゃんが雨が降るって言ったから降った」とか、誰それの行いが悪いから雨になった、など理屈に合わないことを言ったものです。

これは、間違いなく「言霊」信仰の影響です。現代に生きる我々も無意識のうちに「言霊」の影響下にあることを示しています。

「言霊」信仰も上記のような他愛もないものだけなら、日本の文化として大切に保存すべきものだと思います。皇室の方々の日本国を寿ぐ御製も続けて頂きたい。

しかし、国防や災害対策までが「言霊」の影響を受ける事は、今回のような大災害を引き起こすことになります。

今回の地震に伴う大津波で岩手県宮古市田老地区も甚大な被害を受けました。この田老地区は、津波対策の町として世界的に有名で、高さ10mの防波堤が2.8kmにも整備され「田老地区の万里の長城」と言われていました。

田老地区は、過去に何度も大津波に襲われた場所であったそうで、明治29年の津波は日本観測史上最高の高さ38.2m、昭和8年には15mの津波が町を破壊しました。この昭和8年の津波の後に防災の為に防波堤の建設が始まり、30年近い年月をかけて完成したのが高さ10mの「万里の長城」です。

堤防の高さを何故10mにしたのでしょうか? 今回の大津波後、地元の被災者の中には「もっと高い堤防をつくっておけば・・・」という事を言われた人もいたようです。素人考えでも過去に38mの津波が来ており、15mの津波の後に始まったプロジェクトですから、堤防の高さは、せめて15mにするのが筋じゃないかと思います。

それに対して、防災の専門家は田老地区の土地の面積などの特性から「町の機能を維持し景観を保つためには10mが限度だったのでしょう」と近代合理主義的な理由をあげています。そうした理由もあったでしょうが、本質は違うと僕は思います。

「津波」とは来て欲しくないものです。「大津波」であれば尚更です。堤防の高さを論議する場で、誰かが「38mの津波が来ることを想定して・・・」と発言すると「お前は38mの津波が来て欲しいのか」と言う人が出て来ます。

「38mの津波が来る」と言えば、「津波が来る」のが「言霊」信仰の世界です。だから「38mの津波が来る」ことを「想定」することなど出来ないのです。むしろ、してはいけないのです。しかし、堤防は必要だから現実的な高さということで10mに落ち着いたのだと僕は思います。

堤防の高さを10mにした当時の関係者を非難することが、本文の趣旨ではありません。「言霊」信仰による無意識の影響が、大きな事態を引き起こすことの危険性を言いたいのです。

今、問題になっている原子力発電所も同じです。日本人にとって原子力は「穢れ」です。ヒロシマ、ナガサキで多くの人が原子爆弾によって尊い命を失いました。「穢れ」とは「死」のことですから、原子力は「穢れ」をもたらすものであり、原子力発電所は「穢れた」施設なのです。

原発反対の人々が「そんなに安全安全というのなら、最も電気を使う東京の真ん中、国会議事堂の地下にでも造れば良いじゃないか。なぜ、東京から遠い福島や新潟に造るんだ」というような事を言います。

もちろん合理的な理由として、「地域住民の理解を得るためには都心部より田舎の方が良い」「土地買収費用も都心より田舎の方が安く済む」「結果として建設コストが安くなる分、電気代も安くなる」という経済的理由や、万が一の場合の首都圏機能の安全確保という政治的な理由もあります。

でも、本質的には「穢れた」ものを中心地に置きたくないという不条理な思いが根底にあるのだと思います。「穢れ」たものだから、あまり触れたくは無い。見たくもない。でも電力は必要だ。だから、人里離れた地に建設されるのです。そこが危険な場所であろうとなかろうと、人の目に触れる場所ではダメなのです。

そして、原子力は膨大なエネルギーをもっており、放射能汚染は甚大な被害を起こすので万が一の事故の時の安全対策が必要になります。しかし、ここでも「言霊」信仰が邪魔をします。本来なら「最悪」の事態を想定しておかなければならないのに、それを「想定」することができない。

事故が起こった時の放射能汚染対策は、「止める」「冷やす」「閉じ込める」が基本になっているそうです。今回は制御棒が機能して「止める」ことはできました。しかし、次の段階の「冷やす」が出来ませんでした。その結果「閉じ込める」ことも出来なくなりました。

なぜ「冷やせ」なかったのかと言えば、「想定外」の津波で非常用発電ディーゼルが壊れたからです。電気がなければ「冷やせない」ような非常用装置だった訳です。なぜ、電気がなければ動かないような設計にしたのかと言えば、発電所が停電するなど考えられないからでしょう。

発電所は電気を作る場所です、そこが「停電」することを「想定」することは出来ません。「想定」したら、本当に「停電」してしまうのが「言霊」です。

僕は、「言霊」や「穢れ」といった思想は、日本の文化だと思っています。しかし、高度に発達した現代社会には適合しない部分も多くあると思います。そして、日本を動かしている人々が、無意識のうちに影響下にあり重大な局面で誤った判断を犯す危険性を指摘したいのです。

井沢元彦氏は、随分昔からこのことを指摘して警鐘を鳴らしてきました。「言霊 何故日本に、本当の自由がないのか」(祥伝社)といった「言霊」関連の本もたくさん書かれています。

今回の事故を過去の出来事にしないために、日本人の根底にある「言霊」信仰について考えて頂きたいと思います。
コメント
この記事へのコメント
unthinkable
我が国が核攻撃を受けたらどのような事態が発生するか。
我が国の原発が大事故を起こしたらどうなるか。
疾走する弾丸列車が貨物列車に激突したらどのようになるか。

悪夢は見たくない。いつまでも能天気でいたい。
天下泰平の気分を壊したくない。

自分に都合の良いことだけを考えていたい。
それ以外の内容は、想定外になる。

ただ「間違ってはいけない」とだけ注意を与える。
「人は、誤りを避けられない」とは教えない。
「お互いに注意を喚起し合って、正しい道を歩まなくてはならない」とは、考えていない。

もしも自分にとって都合の悪いことが起こったら、びっくりする以外にない。
そして、「私は、相手を信じていた」と言い訳するしかない。だから、罪がないことになる。

危機管理は大の苦手。
だが、ナウな感じのする犯人捜し・捕り物帳なら大好きである。毎日テレビで見ている。

日本語には時制がないので、未来時制もない。
未来の内容を鮮明に正確に脳裏に描きだすことは難しい。
一億一心のようではあるが、内容がないので建設的なことは起こらない。
お互いに、相手の手を抑えあった形である。すべては安全のためか。不信のためか。

問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力を持っている。
親分の腹芸か、政党の内紛のようなもの。
今回の事件はわが国の国民性を色濃くにじませている。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


2011/03/28(月) 16:51 | URL | noga #sqx2p0JE[ 編集]
コメントが付くとは思いもしなかったので驚いています。ありがとうございます。
2011/03/28(月) 17:23 | URL | papaci #-[ 編集]
興味深く読ませていただきました。
日本人特有の言霊信仰は、現代の社会では大きな弊害になりますね。
今回の原発事故で改めて痛感いたしました。

転載させていただきます。
もし不都合であれば、速やかに削除いたします。
2011/04/01(金) 21:51 | URL | きゃら子 #ZmLzV9jM[ 編集]
>>きゃら子さん

コメントありがとうございます。
拙文の転載について不都合はありませんし、文責も私にあります。ご利用頂けるのであれば、宜しくお願いします。

基本的に井沢元彦氏の論旨を拝借した文章なので、井沢氏の著作を読まれる事をお勧め致します。とても分かりやすいです。
2011/04/02(土) 09:51 | URL | papaci #-[ 編集]
そのとおりでしょうね
はじめまして。
福島県の者です。

地震直後に帰宅して本棚の本を元に戻すときに
井沢氏の「逆説の日本史」が目に入りました。

「コトダマ」。
原子力発電所は自動停止したと聞いたけど
もし停止していなかったらどうなったのだろう。
翌日その危惧は現実のものとなりました。

今私たち福島県民は
「ケガレ」による差別を受けています。
これまで福島弁で「部落」といえば
単に集落を指していました。
これからは標準語と同じ意味になるでしょう。
2011/04/19(火) 21:51 | URL | しんたん #NmGE3POI[ 編集]
>>しんたん様
コメントありがとうございます。
風評被害の根底にも「穢れ」信仰があるように感じます。
日本人の美徳(欠点)の一つに「水に流す」と言う言葉があります。基本的に日本人は「水に流す」=「都合良く忘れる」のが得意な民族です。
風評も一時的なもので直ぐに忘れると思います。暫くの辛抱です。
きっと、また「うつくしま福島」と呼ばれる日が来ます。
それまで、一緒に頑張りましょう。
2011/04/20(水) 16:20 | URL | papaci #-[ 編集]
そうおもいます
「言霊信仰と原発」で検索してここにきました。
実際には動かず言葉だけでなんとかなると思っている政府は、昔の公家のようですね。
想定外って言ってた本心は「想定しちゃうとほんとに起こっちゃう」と思っていたからでしょうかね。
放射能は見えないから「無い」と言っちゃえば無くなるのさ、とでも思っていたのでしょうかね。
日本人は原発を扱ってはいけないんですね、根本的意識の問題で。
2011/10/21(金) 16:28 | URL | NowhereMan #-[ 編集]
>>NowhereManさん

井沢さんが、かねて懸念していたように、国の根幹に関わる人々の「言霊信仰」の悪影響が顕在化してしまったと言う事だと思います。

これを機に、言霊の影響を逃れて現実的な政策を立案し実行して欲しいと思います。
2011/10/21(金) 20:50 | URL | papaci #-[ 編集]
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